江戸城のイメージ

昨日、テレ朝で「お城好き1万人がガチで投票!お城総選挙」という番組をやっていました。
私は、別に城好きという訳ではありませんが・・・有名なお城が多いので、半分ぐらい行った事がありました。

中には、「根室半島チャシ跡群」というような、初めて聞いた名前のお城もあって、流石、お城好きが選んだと思わせるものがあったのですが・・・中には?と思うようなものまでありました。
どうやら、そんなにお城好きで無い人も投票していて・・・番組制作側も、そんなに詳しく無かったのでしょう。

例えば、岐阜城について、織田信長の居城だったのは確かなのですけど・・・現存の天守閣は再建されたものですが、当時も同じ位置にあったと推測されるので、天守閣に登れば織田信長が見ていた光景が眺められる、と言っていました。
ご存知のように、最初の天守閣は織田信長安土城に造ったもの・・・当時の岐阜城には、天守閣はありませんでした。

また、犬山城は要所にあるため、信長、秀吉、家康が攻めたという話で・・・秀吉が船を使って木曾川側から攻めたというが、こんな絶壁をよく登ったものだ、と解説していましたが・・・犬山城は徳川の時代に、南西の三光山山頂からこの地に移築されました。

あと、熊本城については、西南戦争で西郷軍が攻めたけど無事だった、と言っていましたが・・・西郷軍が攻める前に、謎の火災で、天守閣、小天守などの主要部分が焼け落ちてしまいました。

それから、弘前城天守閣を石垣修理のため、曳屋で移動させた話をしていましたが・・・弘前城の本当の天守閣は落雷で炎上してしまったので・・・あれは、辰巳櫓(御三階櫓)を天守として代用していたものです。
同様な話は江戸城にもあり、明暦の大火で天守閣が焼け落ちたため、現存する富士見櫓を天守として代用していたのですが・・・江戸城については、焼け落ちた天守閣の巨大さについて述べただけでした。

実は、個人的には、江戸城の富士見櫓って好きなのです。
以前、書いたことがありますけど・・・江戸城天守閣再建の運動があるそうですが・・・その前に、富士見櫓を隠すように茂っている樹の枝を伐採して、観光客が集まる皇居前広場から良く見えるようしてもらいたいです。

ちなみに、第2位となった大阪城は、番組でも地下7メートルにある秀吉時代の城壁について説明していたように、現状の天守閣は昭和に再建されたもので、巨大な石垣などは徳川時代に造られた物なのに、秀吉の城として人気があるというのも不思議です。

ひょっとしたら、江戸城のランクが11位と低いのは、多くの人が皇居というイメージを持っていて、お城というイメージが少ないためかもしれませんね。
あと、地方の人にとっては、お城がシンボル的なイメージを持っているけど、東京に暮らす人はそんなイメージを持っていない、というのも理由のような気がします。
皇居前広場から富士見櫓が良く見えれば、東京に暮らす人にも、もっとお城というイメージを持つ人が増えるのではないでしょうか?

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一般開放の時に皇居内から撮影した富士見櫓

イメージ 2
焼失した江戸城天守閣跡