本地垂迹説

新年あけましておめでとうございます。

 

初夢に変な夢を見てしましました。

仕事でセキュリティ関係の新しいプロジェクト・メンバーに選ばれたのですが・・・歳も歳だし、持っている資格も古くて、最近の事は判らないので、困っていたら・・・いきなり森の中にて、目の前に小川が流れて珍しい石が転がっています。

ここは私有地だからと知っていたのですが、思わず石を拾おうとしたら、それは犯罪だという声がしたので、あわてて逃げ出しました。

そして、後ろから石を投げつけられて、必死で走っていたら・・・目が覚めました。

いったい夢占いだと、どんな意味があるのでしょうか?

きっと、新型コロナの不安やリモートワークで仕事をちゃんとしていない罪悪感の表れだと思います。

 

というわけで、未明に目が覚めてしまったので、初詣に行きました。

未だ暗かったので2~3組しか神社にいなかったから、3密とは無関係ですね。

早速、母が早く退院するように祈っていたら、つい柏手を打つのを忘れいたのに気づいて、慌てて2拝2拍手1拝しました。

 

ところで、ここのところ本地垂迹説について考える事が多いです。

御存じでしょうが、本地垂迹説とは、仏教到来によって旧来の日本神道による神々は、実は仏の化身だったという解釈をしたものです。

それが、明治維新によって天皇を神格化するために、それまで神仏習合だったのが廃仏毀釈されてしまいました。

そういえば、元旦も冬至なんかの自然由来とは異なり、人間の都合で決められたものでしたね。

これも明治維新太陰暦から太陽暦に変わって、元旦が移動したのは有名な話です。

 

以前も書きましたが、私は全ての物に魂が宿るというアニミズムを信じているのですが・・・全ての宗教は、人間が神聖なものを感じ、それに神とか仏とか名前を付けたのではないか?つまり本地垂迹説のように、元は同じものが形を変えているだと考えています。

そもそも、原始仏教ではお釈迦様しかいなかったのに、その後、人間の都合で色々な仏が仏教に取り込まれたのですよね。

案外、温泉の黒玉子を食べると寿命が7年延びるとか(それなら私は20個食べるなんて)、最初は適当な事を言う人がいたのが、後年、多くの人に信じられるようになったのと同じかもしれません。

 

そういえば、先日亡くなった織田無道さんが、昔テレビ番組の除霊で活躍していた時、エクソシストのような西洋の悪魔憑きに対応できるか?なんて疑問に思っていました。本地垂迹説的に考えれば、大丈夫だという事になりますね。

 

というわけで、神社で2拝2拍手1拝をしなくても、問題はないと思います。

そういえば、最近は、お参りするとき最初に住所を言わなければいけない、なんてことを言う人もいますが、もちろん、行政の都合で、地番変更なんてしょっちゅう行われているので、昔からの神社の神様がそんな事にこだわるとは思えません。

(神社の住所も変わっていたりして・・・)