中道?

昨日は、仏教は、輪廻転生という教えなので、火葬にしても問題がない事を書きました。
そして、お墓の存在も、死んだ人の魂がいる訳ではないから、残された者の心のケアという意味合いが強いのではないか?と思います。

日本では、死んだら仏になるのですが・・・本来の仏教では、悟りを開いたら仏になって、輪廻転生の輪から抜け出せます。
どちらにしても、死んだ後の肉体やお骨に魂が宿っている訳ではありませんので・・・国によっては、散骨したり、お墓を作らなかったりする所もあります。

先ほどニュースで、雪崩で亡くなった高校生の遺族が「今、自分の隣にいる人があした隣にいるとは限らない。みなさんも大切な人との時間を大事にして欲しい」と語っていました。
それは大事な考え方だと思います・・・しかし、どんなに相手との時間を大切に過ごしても、あれをしてあげれば良かったと、悔やむ気持ちは残ると思います。
そんな遺族のために、お墓の存在があるのではないでしょうか?

個人的には、どうせ悔やむのなら、一瞬一瞬を大切に全力で相手と係るような事をしなくても、普通に過ごすだけで良いような気もします・・・もちろん、無駄に時を過ごすのは良くないと思いますが・・・全力だと、疲れてしまいそうです。
仏教的にいうと中道の精神なのでしょうか?

ちなみに、仏教では涅槃の境地を求めるので、中道で落ち着いた静かな状態を望むのでしょうが・・・
私の場合、中道の一形態で、確かに両極端のどちらにも着かないのですが・・・あっちに近づいたり、こっちに近づいたり、というような行ったり来たりの状態が理想なのです。

例えば、天気に、晴れの日や雨の日があるように、季節に、暑い夏や寒い冬があるように、人生にも上り下り、辛い事/楽しい事、がある方が、面白みがあって退屈せずに良いと思うのです。
毎日、晴れて温暖な気候だとしたら、風情がなくて、つまらないと思います。
だから、人との付き合いも、時に、大切な時間を一緒に過ごしたり、時に、少し離れて過ごしたり、といった方が良さそうな気がするのです。
つまり、普段通り、自然に付き合うっていう事ですね。