お墓

他に書くことがあったので、書きそびれていましたが・・・
日曜日に、「今、地方を知れば日本がわかる!池上彰のご当地ウラ事情」という番組を視ていたら、お墓の話をしていました。

墓じまいが増えているそうで・・・墓石が大量に捨てられているとか・・・我が家も、私が死んだら墓を守る人がいなくなるので、他人ごとではありません。
今の墓石も、将来は捨てる事になるのかと思うと、愛着もあり、ちょっと複雑な気持ちですね。

そんな番組で、特に興味深かったのが、壇蜜がリポーターをした「一体ナゼ!?急増する”土葬”ウラ事情」というテーマです。
ちなみに、壇蜜は頭が良いのでリポーターには向いていると思うのですが・・・このテーマは内容が内容だけに、甘えたような舌足らずなしゃべり方は、ちょっと不謹慎な感じがしてしまいました。

何故、土葬が増えているのかというと、日本に住む外国人が増加しているためで・・・イスラム教徒など、他の宗教では土葬する事になっているからだそうです。
源流が同じ、ユダヤ教キリスト教も共通で、最後の審判の時に、死者が蘇って生前の行いにより地獄行きか天国行きが決められるので・・・その時に肉体が必要になるからだそうです。
世界的に見ても、火葬をする国は珍しいとか。

この点、仏教は輪廻転生(日本では死んだら仏になる)という教えなので、魂が抜けた肉体は火葬にしても問題ないのです。
ちなみに、衛生面を考慮して火葬が広まったのは戦後の事だとか・・・意外と最近の事なのですね。
焼いたお骨を拾うときは二人の箸を使うなどの風習も、そんなに古いものでないのかもしれません。

そういえば、関東では、全身の骨を残らず大きめの骨壺に入れますが・・・関西では、主な骨だけ小さな骨壺に入れて、残りは捨ててしまいます。
最初は、びっくりしたのですが・・・仏教的に考えれば、お骨にも大した意味はないので、遺品的な物だと考えれば、その方が合理的な気もします。

千の風になって」の歌詞のように、お墓もそんなに意味はないのかもしれません・・・むしろ、残された者の心のケアのために、お墓の存在はあるのかもしれません。
だとしたら、お墓を守る人がいなくなるのであれば、永代供養なんかにせずに、墓じまいするだけでも良さそうな気もします。