萩の城下町

昨日のNHKブラタモリ」は、萩が世界遺産になった理由を取り上げていました。
なんでも、明治になって広大な湿地を埋め立てた結果、江戸時代の城下町がそのまま残されたそうです。

ちなみに、萩はかなり昔になりますが・・・今は特別養護老人ホームに入っている母のお供をして、萩と津和野を巡るツアーで行った事があります。
昼間は松陰神社などの観光名所をバスで巡ったので、夜になったら母は疲れて宿で休んでいたのですが・・・私は、ふらふらと散歩がてらに、武家屋敷のあたりを歩きまわりました。
そのため、昨日の武家屋敷の番組映像を見て、懐かしく思い出しました。

今になって考えると、確かに萩の街って、不思議な構成になっていましたね。
松陰神社伊藤博文の家のあたりと、橋を渡って反対側に武家屋敷があって、そちらに高杉晋作桂小五郎の家が近くにかたまってあり・・・その先の岬の山の上に城跡がありました。
そして、武家屋敷から海の反対方向にある明倫館側は広い土地に市役所や公園なんかありました。

番組によれば、もともと陸続きの島にお城を作り、砂洲にできた砂丘武家屋敷を作ったそうで・・・それから、上に述べたように、砂洲と陸の間にあった湿地を埋め立てとか。
ちなみに、湿地を埋め立てた時や、砂洲で地盤の弱い武家屋敷の土台や石塀などに使われたのが、周囲にある火山によって作り出された安山岩だそうです。

萩が火山に囲まれていたという事は、番組を視て、初めて知りましたが・・・明治維新の立役者の長州も薩摩も、火山が近くにあり、その地質が維新の原動力の要因の一つになっているというのが、面白いですね。
そういえば、萩の武家屋敷って・・・なんとなく、知覧の武家屋敷に似ているような印象を受けました。