なんでも、明治になって広大な湿地を埋め立てた結果、江戸時代の城下町がそのまま残されたそうです。
ちなみに、萩はかなり昔になりますが・・・今は特別養護老人ホームに入っている母のお供をして、萩と津和野を巡るツアーで行った事があります。
そのため、昨日の武家屋敷の番組映像を見て、懐かしく思い出しました。
今になって考えると、確かに萩の街って、不思議な構成になっていましたね。
そして、武家屋敷から海の反対方向にある明倫館側は広い土地に市役所や公園なんかありました。
萩が火山に囲まれていたという事は、番組を視て、初めて知りましたが・・・明治維新の立役者の長州も薩摩も、火山が近くにあり、その地質が維新の原動力の要因の一つになっているというのが、面白いですね。