言論の自由?

フランスのシャルリー・エブト社でテロ事件がおきました。
もちろん、テロは許せないことなのですけど、原因となったシャルリー社の風刺画について、
ローマ法皇が「言論の自由にも限度」と発言したとか、「私はシャルリー」あるいは「私はシャルリーではない」とか、あちらこちらで書かれています。
微妙な問題なので書こうかどうか迷ったのですけど、気になったので、私なりに思ったことを書きます。
 
TVで評論家が「風刺は強い者に対してするものであり、弱い者に対するのは風刺ではない」と言っていました。
でも、弱い者に対しての風刺もありだと思います。
実際、庶民生活の風刺なんていうのも多く目にします。
たぶん、弱い者いじめのような風刺は良くないと言いたかったのだろう思います。
それに、ムハンマドとかイスラム教が弱い者というのも変です。
おそらく、フランス国内のイスラム教徒の事を念頭に置いての発言だったのでしょう。
そういえば、フランスでは女子学生のスカーフ(ブルカ)の禁止なんて問題もありました。
そもそも、フランスでは労働力を得るために、昔の植民地などからの移民を大量に受け入れたという歴史があります。
ここで、連想したのが、日本が戦前に朝鮮半島から労働力のために多くの人を連れてきたことです。
今、この人たちに対するヘイトスピーチが問題となっています。
日本政府は言論の自由として大目に見ようとしていたのですが、欧米各国からは差別だから規制しろと迫られています。
日本人の感覚では、シャルリーの風刺画も日本のヘイトスピーチも、そんなに変わらないような気がします。
私には、両者とも、幼稚で下劣な言動で、決して好ましいものではありません。
 
そういえば、ソニーの子会社が作った映画「サ・インタヴュー」に対する北朝鮮からのサイバーテロについても、
言論の自由への攻撃だということになっています。
見ていないから断言はできませんが、この映画も幼稚で下劣な感じがします。
 
日本だったら、このような幼稚で下劣な言動に対して、気にせず無視するというのが大人の対応ですよね。
それに対して、目くじらを立てて怒るなんていうのも変ですし、ましてやテロやサイバーテロなんて考えられません。
そして、テロやサイバーテロを非難するのは判りますが、それを言論の自由に対する攻撃だなんて大袈裟に非難する感覚も変です。
欧米では、言論の自由という権利を苦労して勝ち取ったから、という人もいますが、日本人には判らない感覚です。
 
言論の自由を守るために大勢がデモするのも良いですが・・・
世界のどこの地域の人にも判るように、言論の自由の範囲(どこまでが言論の自由でどこからが差別なのか)を明確にした方が、結局は言論の自由を守ることになるのではないでしょうか?
 
それに、シャルリーの風刺画や映画「ザ・インタヴュー」が言論の自由のシンボルになってほしくはありません。
冒頭に書いた評論家と同様に、政府への批判とか、もう少し高尚な物がシンボルになってほしいと思います。