言論の自由

昨日は、丸山穂高議員の北方領土に対する発言の問題について書きました。
外交上大きなマイナスとなる問題なのに、丸山議員の酒癖の悪さとか猥褻な発言などに対する報道が増えて、注目が薄れてしまったような気がします。

さて、今日は天安門事件から30年ということで、日本や香港の抗議行動がニュースで取り上げられていました。
しかし、中国本土では、相変わらず、ニュースになっていません。
中国本でのインタヴューでも、ほとんどの人が、判らないと回答していました。

以前は、中国政府の取り締まりが厳しいから、知っていても判らないと答えている人が多かったようですが・・・最近は、本当に知らない人が増えているようです。
当然ですが、若い人は、幼いころから天安門事件に関する記事が中国国内で規制されているため、知らないみたいだし・・・年配者でも、事件当時に田舎に住んでいた人は、事件の情報を入手する事が出来なかったので、知らないみたいです。

それに、後から事件の事を知った人も・・・現在の中国経済の資本主義的発展を知っているので・・・天安門事件が、大した出来事だったという認識がないようです。
もちろん、当時の学生たちは、経済の自由化よりも、言論の自由を求めていたのですが・・・相変わらず、中国政府による言論統制は続いていますけど、経済発展に目を奪われて、そんなに言論の不自由を感じていないようです。
まさに、天安門事件を無きものにしようとする中国政府の思惑どおりになっているようですね。

もっとも、一部の若者たちは、天安門事件の重要性や、中国政府の言論統制について気づいていると言われています・・・それは、海外留学をした若者たち・・・彼らは、中国本土に戻ってエリートとなるので、現在の様な言論統制がいつまでも続くとは思えません。

さらに、米中摩擦により、中国経済にも翳りが見え始めている事を考えると・・・今まで、経済発展に目を奪われていた人達も、自分たちの不満を叫ぼうとして、言論の不自由な事に気づくようになるでしょう。
はたして、天安門事件から50年になったら、どうなっているのでしょうか?

一方の日本では、丸山議員の北方領土発言とか、それに対するマスコミによる興味本位の取り上げ方・・・言論の自由は重要ですが、履き違えもあるようです。