太陽の塔の記憶

今日のNHK日曜美術館岡本太郎太陽の塔を取り上げていました。
普段は、日曜朝に本放送で翌週の日曜夜に再放送という感じなのですが・・・番組の改編時期のため、夜が本放送でした。

大阪万博には行かなかったけど・・・もちろん、テレビで視た太陽の塔の存在は、子供心に強烈な印象を覚えました。
ちなみに、内部の生命の樹の映像は見た事があったのですけど・・・地下に、世界の仮面など民俗学的なコレクションを展示したスペースがあった事は、今回の番組で初めて知りました。

そういえば、他の万博のパビリオンでは最新科学技術の粋を展示していたのに、岡本太郎は人類の進歩なんて信じていなかった結果、皮肉にも太陽の塔だけが遺されたという事でしたが・・・実は、岡本太郎自身が、後世に残る事を意識して造ったような気がします。

太陽の塔の実物を見たのは、3年前に亡くなった義兄の社宅が吹田にあり、万博公園のすぐそばだったからでした。
義兄は関西系の商社に勤めていて・・・姉と結婚した時は東京在住で、その後熊本に転勤し、また東京に戻ってきて、そして定年まで10年ぐらい居たのが大阪でした。
ちなみに、定年後は吹田の社宅を出なければならないので、新大阪にマンションを買ったのですが・・・結局、少しの間しか住んでいなかった事になります。

そういえば、姉は義兄を追う様に1か月後に亡くなったのですが・・・乳癌でずっと通院していて、抗がん剤で免疫力が低下していた上に義兄の葬儀で疲れやストレスが溜まり、敗血症を発症したのです。

その日は姪がマンションに帰って来た時、姉が倒れていたので、救急車を呼んだのですが・・・救急車が来た時、未だ意識があった姉は乳癌の治療で通院していた吹田の阪大病院に行くように頼んだそうです。
結果として、乳癌が悪化したのではなく敗血症だったので・・・もし、吹田にまで行かなくて、近場の病院に行けば助かっていたかも知れません。

なお、夜中に姉が危篤だという連絡が姪から連絡が入って、翌朝、阪大病院で亡くなったので・・・私も混乱していたのか?大阪に行くときの宿を吹田にとってしまいました。
通夜の後、吹田の宿に帰り・・・翌朝、告別式に行く時に、万博公園のひっそりたたずむ太陽の塔が見えました。
番組で井浦新さんが、太陽の塔岡本太郎縄文土器だと言っていましたが・・・その時の私には、太陽の塔はお墓に備える埴輪のように見えました。