吉祥寺という土地

日曜日のNHKブラタモリは吉祥寺を取り上げていました。
吉祥寺は、我が家からそんなに遠くないので、馴染みがあるため、興味深く拝見しました。

吉祥寺と言えば、住みたい街の代表・・・大学生のときに、我が家に下宿していた姪は、卒業後、吉祥寺に住みたがっていたのですが・・・家賃が高いので諦めて、隣の駅のアパートにしました。
隣の駅といっても、街の区割りは、番組で紹介されていたように、五日市街道から細長い形になっていて・・・どうして、こんな形なのだろう?と、不思議に思っていました。
明暦の大火で、江戸の中心から焼け出された人達のために、この土地が用意されたと聞いて、納得しました。

そういえば、移住した人が、元住んでいたのが駿河台にあった吉祥寺の門前町だったため、この土地に吉祥寺という名前を付けたそうで・・・ここには、吉祥寺というお寺はありません。
番組では、そこまで語られませんでしたけど・・・現在、駒込駅から本郷通りを南に行ったところにある吉祥寺が、明暦の大火で焼けて移転したお寺ですね。

余談ですが・・・井の頭公園の池と同様に、神田川の上流にあたる善福寺公園の池ですが・・・家康が江戸に入場する前、麻布にある善福寺の奥の院がここにあったため、善福寺という名前が付いたなんていう話もあります。

また、吉祥寺の駅を作る時に・・・中央線と五日市街道の交差するところを計画したけど・・・地元の人の反対があって、お寺の寺領だった現在地になったという話ですが・・・
汽車により火の粉が飛ぶとか騒音などで反対したのだったら、駅ではなくて、線路自体の建設に反対するはず・・・単に、駅を作るだけの広さの土地の提供で問題があったのではないでしょうか?

ちなみに、明治時代、最初に八王子までの鉄道を計画した時は、甲州街道沿いが検討されたのですが・・・調布や府中などの住民が反対したため、住民が少なかく畑が広がっていた現在の中央線の位置になったそうです。
そのため、中央線は直線区間が長くできたとか・・・あと、立川と国分寺の間には、何もなかったので、両者の名前を合わせて国立という駅を作ったなんていう話もあります。

やがて、鉄道により中央線沿線が繁栄すると、甲州街道沿いの住民も考えを改め、京王線を誘致したそうです。
住民の反対は尊重すべきですが・・・それは、必ずしも良い結果をもたらさないという事ですね。