奇襲攻撃

昨日は、皇居の乾通り一般開放の様子を書きました。
この穏やかな一般開放は今日も行われましたが・・・ハワイで真珠湾攻撃から74年の式典が行われたというニュースがあって、ちょっと皮肉な感じがしました。

8月15日の終戦の日の頃に、戦争を扱った式典やTV番組など話題になりますが、太平洋戦争の開戦となった今日は、あまり戦争の事が話題になりませんね。

そもそも戦争を起こさない方が良いわけで、そういう意味では、道を誤った日となる今日も、もっと戦争について思いをよせるべきだと思います。

そういえば、日本では終戦の日と言って、敗戦の日と言わないのは変だという、意見を聞いたことがありますが・・・真珠湾攻撃の事を、奇襲攻撃と言うのも、ちょっとしっくりこないです。

奇襲というと、相手が油断しているところを突く攻撃なので、織田信長桶狭間の戦いのようなものを思い浮かべます。
例えば、相撲で猫騙しを使うような事を奇襲というのであって、仕切り前に相手を突き飛ばすような事を奇襲といえるのでしょうか?
アメリカでは、宣戦布告をせずに攻撃したので、真珠湾攻撃を卑怯な騙し打ちという事が多いらしいです。

もっとも、宣戦布告は真珠湾攻撃の30分前にハル国務長官に渡す予定だったのですが・・・駐米大使館での翻訳に手間取ったために1時間後になってしまったそうです。

アメリカは日本の暗号を解読していたので、ルーズベルト大統領は事前に攻撃がある事を知っていたのに、アメリカの世論が開戦に傾くように、わざと見過ごしたという陰謀説がありますが・・・ハル国務長官回顧録なんかを読むと、宣戦布告がその時間にあるという事は知っていたみたいですが・・・具体的に真珠湾が攻撃されるという事は知らなかったようですね。

もっとも、30分前の宣戦布告というのも、卑怯な感じがするので、攻撃の1日前でも良かったような気がします。
真珠湾攻撃の発案者の山本五十六司令長官とは関係なく、30分前と決められたそうですが・・・そもそも、航空機による大規模な攻撃というのが、当時の常識にはなかったアイデアだし、水深の浅い真珠湾で使えるような魚雷を開発したりしていたので、宣戦布告があったとしても、アメリカ側は、真珠湾に対する航空機の攻撃があるとは予想できなかったと思います。

アメリカの実情に詳しかった山本五十六司令長官の本来の目的は、真珠湾攻撃で大打撃を与えて、早期に有利な条件で和平を結ぶ、という事だったそうですが・・・
そもそも、宣戦布告が30分前に渡せたとしても、そんな姑息なやり方では、日本に対する憎しみを煽り、早期の和平は困難になったのではないでしょうか。

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「ハル回顧録」 コーデル・ハル著 宮地健次郎訳 中公文庫