始皇帝と大兵馬俑

昨夜、NHKの日曜美術館でモネの特集を放映していたので、モネ展を見てきたので興味深く視させていただきました。
で、日曜美術館の本編に引き続いて流されるアートシーンのコーナーで、国立博物館で開催されている「始皇帝と大兵馬俑」展を紹介していました。

先日も書きましたが、やはりNHKのシリーズ「アジア巨大遺跡」という番組で、「地下に眠る皇帝の野望 始皇帝陵に眠る秘密」というのを視て、興味をおぼえていた事もあり、今日は展覧会を見に行ってきました。

モネ展ほどではありませんが、かなり混んでいました。
祝日ということもあり、子供連れも多かったので、残念ながら、じっくりと見るという感じではなかったです。
そういえば、何故か、中国人の一団の見学客もいました。

で、肝心の兵馬俑ですが・・・思ったより、数が少なかったです。
複製は沢山あったのですけど。
後は、春秋戦国時代から秦時代にかけての古代中国の出土品でした。

もちろん、それらの出土品も、それなりに素晴らしい物でしたが、やはり、メインは兵馬俑なのは、いたしかないですね。
いまでも、実物はかなり迫力がありますが・・・本来、兵馬俑は着色されていたという事なので、ちょっと想像してみたのですが、つくられた当時はかなりリアルだったと思います。

兵馬俑の兵士は、等身大だとすると、かなり背が高かったと思われるのですが・・・改めて見ると、顔が大きいし脚が短いので、昔の日本人と似たスタイルだった事が判ります。
大体、六頭身ぐらいですかね・・・顔が大きすぎるので、等身大じゃない気もします。

あと、馬について気がついたのですが・・・
始皇帝陵以前の小さな兵馬俑も展示してあったのですが、騎馬の像なんかをみるとポニーのように脚が短く小さい馬だった事が判ります。
それが、始皇帝陵の馬車や馬の像をみると、サラブレッドほどではありませんが、人物と同じぐらいかそれ以上の大きさで脚が長い馬になっていました。

北方の匈奴の影響で、騎馬を使った戦いをするようになったという事でしたが・・・西方の大型の馬を使っていたのではないでしょうか?
とすると、戦国時代に、西方の僻地の秦が覇者になったのは、優秀な馬を使っていたというのも、一つの要因だったのではないか、なんて思ってしまいました。

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