斎藤真一(続き)

昨日は、斎藤真一の瞽女の絵について書きました。
で、斎藤真一の本を引っ張り出してきて見たら、結構面白かったので、今日も引き続き書きます。

斎藤真一の本は、絵も素晴らしいのですが、文章も素晴らしいです。
瞽女などの対象を詳しく調べているのは、対象と真剣に向き合っているからだと思います。
そして、それが文章や絵にも表れているから、素晴らしいのだと思います。

斎藤真一は、東京美術学校師範科の時に徴兵にとられ、復員後、学校に戻り、日展入選とかしますが、それでは食べていけないので静岡県の高校の美術教師になります。

そして、伊豆の海岸で写生をしている時に、その絵を見た中年婦人に「まあフジタに似ている」と言われます。
それが、別荘へ来ていた藤田嗣治も姪だったそうで、彼女の紹介でパリの藤田嗣治(レオナルド・フジタ)を頼って留学することになります。
ちなみに、その姪の方は、斎藤真一が渡仏する前に、電車にはねられて亡くなったそうです。

ヨーロッパでは、モーター付自転車で フランスから、ルクセンブルグ、ドイツ、オランダ、ベルギーを周ったり、イタリアへ行ったりしています。
このとき、ジプシーと出会って、その後、ジプシーの絵も多く描いています。

そして。帰国する時に、藤田嗣治に「雪の東北あたりに、絵の主題はころがっているはずだよ。」と言われたそうです。
その言葉に従って青森の弘前を訪れ宿に泊まっていた時、印象的な三味線の音を耳にします。
それが、未だ有名で無かった津軽ジョンガラ節でした。
興味を持って、土地の人に話を訊いてみると、「三味線の音楽は、越後瞽女が広めた。」と老人に言われたのが、瞽女を知るきっかけになったそうです。

その後、斎藤耕一監督の映画「津軽ジョンガラ節」では、挿入絵を制作したり・・・
遊女だった祖母を書いた「吉原炎上」は、五社英雄監督により映画化されたりもしています。
その対象へ対する愛情が、画家におさまらない活躍になっているのだと思います。

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津軽じよんから」 斎藤真一著 大西書店,

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「絵草紙吉原炎上 祖母紫遊女ものがたり」 斎藤真一著 文藝春秋

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「斎藤真一放浪記」 斎藤真一著 美術出版社