和気清麻呂像

昨日、皇居の楠木正成像について書いた事が間違っていたことに気がつきました。
大変、申し訳ありませんでした。訂正させて頂きます。

皇居に建っている、楠木正成和気清麻呂の像について
「戦前の昭和15年紀元2600年を記念して、文武の二人の忠臣の像を建立したそうです」
と書いたのですが・・・
よく調べたら、これは和気清麻呂の像の事で、楠木正成の像は別子銅山開坑200年記念事業として住友財閥から献納されたもので、明治33年に建てられたそうです。

そういえば、和気清麻呂宇佐八幡宮神託事件で、称徳天皇の望まない信託を報告したために別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名されて左遷させられとか・・・
でも、後に復権して重用されたんですよね。

今日は、違う事を書こうと思ったのですが・・・
ちょっとは見習って、正直に生きなければいけないなぁと思って、この訂正を書いています。

昨日の朝に、なんで南朝の武将の楠木正成の像が皇居に建っているのだろうと思って、ちょっと調べただけで書いてしまったのが、間違いの元でした。
よく調べれば、すぐに判ったはずなのに、あー、恥ずかしい。
ご迷惑をおかけしましてすみませんでした。

ちなみに、この楠木正成像の製作にあたったのは東京美術学校で、高村光雲などによるものだそうです。
一方の和気清麻呂像は、大日本護王会がスポンサーとなって、製作は佐藤清蔵によるものだそうです。

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皇居の和気清麻呂
昨日の楠木正成像に合わせて、桜の枝を画面に入れてみました。