死刑反対

イスラム国の人質となっていた湯川さんが殺害されたとか・・・未だはっきりしませんけど、とても残念です。
イスラム国周辺の方の命も日本人の命も同じだという事は判っていますけど、やはり日本人なので助かってほしかったです。
でも、もし日本人の命を助けるために、イスラム国周辺の方を多く犠牲にする可能性があるとしたら、そんな解決方法はしないで欲しいです。
たぶん、人質の方もそう思っているのではないでしょうか?
もちろん、家族とか友人の方が、どんな事をしても無事で帰ってきてほしいと思うのは、人情的にしょうが無いと思うのですが・・・
事態がもよく判らないし、部外者だから、無責任にそんなことを考えてしまいます。
 
昨日は、死刑容認が80%を超えたというニュースもありました。
よく死刑の問題の時に、遺族の気持ちを考えてとか、犠牲者の気持ちが判るとしたら犯人の死刑をのぞんでいるだろうか?などと言われます。
冒頭のイスラム国の人質の件から、つい連想してしまいました。
 
でも、私は死刑反対です。
 
昔は仇討という制度がありました。
しかし、仇討をされた方がまた仇討をしたりして、憎しみの連鎖は終わらなかったのです。
それは、どんな事情があっても、遺族は相手を殺してやりたいと思うものだからです。
そこで、仇討を禁止して、国が第三の立場から公平に裁くようになり、遺族に代わって死刑を行うようになったのです。
 
私が死刑に反対するのは、それが遺族の思いに重点をおいた安易な解決に思えるからです。
もちろん、心情的には遺族には同情しますが、理性的に考えると、そう思えるのです。
例えば、死刑を望んでいる人や、死んでも良いと思っている人が犯罪を犯すこともあります。
残念ながら、日本は自殺大国なので、このような人も多いのです。
そのような犯人に死刑を執行することは意味があるのでしょうか?
また、このような人には死刑による犯罪抑止は効果がありません。
それに、死刑を実施してしまったために真相が判らなくなる事もあります。
生きていれば、悔い改めて、どのような思いで犯行を行ったのかを告げることができます。
もちろん、冤罪の場合には、死刑は取り返しがつかない事になります。
 
では死刑の代わりにどうするのかというと、やはり終身刑だと考えています。
しかし、ただでさえ刑務所が足りないのに、税金で犯罪者を養うのか?と言われます。
私は、悪人になりたくて生まれてkる人はいないと考えています。
生きている過程で周囲の環境により、犯罪を犯してもよいと考えるようになったのではないでしょうか?
よく、TVで犯人の周囲の人がインタヴューに「あの人は、いつかは犯罪を犯すと思っていた」なんて答えているのを見ると、なんで犯罪を犯すまで放っておいたのかと悲しくなります。
以前、犯罪者の親が「あいつは悪い奴だ、もう親子の縁を切った」という事を言っていたのも見たことがあります。
もちろん法律的には罪はないのですが、縁を切っても、育てた責任があると思うのですが・・
このような思いやりがない環境が、犯人が犯罪を犯しても良いと考える原因になっているのでしょうか?
もちろん、犯人の周囲の人がこのような風に考えるというのは、やはり環境が悪かったからで・・・
それは結局、社会が悪いからで、社会の一員である私にも責任があると思うのです。
だから、終身刑になった場合、犯罪者を養う義務があると考えています。
そして、みんなが犯罪に対して自分は無関係ではないと考えれば、社会が良くなって犯罪も減るなんて、夢想しています。