付喪神はどうするの?

昨日は、このままキャッシュレス化のようにITの進化により仮想化が進むと、物質文明が終わるかも?という事を書きました。
その影響からか・・・今の若者は、音楽をダウンロードするように、物に対する執着が無くなってきているような気がします。

音楽を聴くという、基本的なサービスを満たせば、物を所有する必要なんて無いというのは、正しい在り方なのかもしれません。
しかし、私のような物質文明にどっぷり浸かった年代だと・・・ジャケットのデザインとか、ライナーノーツやアルバムの曲順などといった付加価値が好きで、レコードとかCDといった物質に拘りを感じてしまうのです。

また、自動車を単なる移動手段として捉えれば、シェアすれば良いのですけど・・・自動車自体が好きで、そのデザインや性能に拘りを感じるし・・・若い頃は、パーツを交換したり、ドレスアップしたなんて記憶もあります。

物に執着しないといえば・・・コピー技術が進化した結果なんかから、高価な本物に拘らないという風潮もありますね。
例えば、ロボットが握った回転する寿司でも、最近は技術の進歩により、下手な職人が握ったものよりも出来が良いなんて事もあるので・・・それで充分だなんて事があります。
これも、ある意味、リアルな寿司では無く仮想の寿司を食べているような感じですね。

ところで、以前も書きましたが・・・私は、物に魂が宿ると言う考え方である、アニミズムを信じています。
特に、職人が丁寧に作った物とか大切に扱われた道具なんかは、一種独特な雰囲気が漂っていて、魂が宿っているように感じます。
だから、下手な職人でも、心を込めて握った寿司は、ロボットの握った寿司とは違うと思うのです。

それは、日本人が古来から信じていた、付喪神と似たようなもので・・・戦後、アメリカからもたらされた物質文明とは、少し違っていますけど・・・物を愛し、大事にしたいというのは、物質に執着しなくなった現在の若者とは正反対の立場になってしまいます。
こんな事を言っていると・・・物質文明が滅びようとする時代の変化についていけなくなってしまうかもしれませんね。