お墓も変わる?

昨日は、人の意見を聞くべきか?という事について書きました。
それぞれの価値観が異なっているので、人の意見が自分に合っているとは限りません・・・その意見を採用するか?は、各自が判断すれば良いと思います。

例えば、最新式のお墓を、近い、安い、手間がかからないといった利点で薦める人もいますが・・・10年も経てば陳腐化しそうで・・・今さえ便利であれば良い、という人ならまだしも、先祖の眠るお墓を残したいという人には向いていないような気がします。

そういえば、近頃、寒暖差が激しいせいか、私の職場では親族がお亡くなりになる方が数名いました。
その一つに、私は手伝わなかったのですが・・・久しぶりに、道案内とか受付を、職場の人が行う葬儀がありました。
思えば、私が若い頃には、年に何回も葬儀の道案内に駆り出されていました。
しかし、最近は、セレモニーホールや葬祭場なんていう場所で行う事が多く、自宅で葬儀を行うケースは稀になってしまい・・・家族葬も増えたので・・・職場の人が手伝う事もほとんど無くなってしまいました。

葬儀なんて、変わらない習慣のように思っていたのですが・・・いつの間にか、様変わりしていたのですね。
お墓が変わってしまっても不思議ではないのかもしれません。
そういえば、明治以前は庶民は苗字を持っていなかったので・・・〇〇家の墓なんて刻まれたお墓は、ほとんどが明治以降の物・・・昔から、お墓も時代によって変わっていたのですね。

そもそも、日本の仏教では死んだら仏になりますが・・・本来の仏教では、死んだら輪廻転生するだけです。
つまり、遺体には意味がなく、お骨をガンジス川に流したりしても良いのです。

だから、お墓に先祖の魂が宿っている、なんていう考えに拘らなくても良いのかもしれませんね。
まあ、お彼岸やお盆の墓参りというのは、伝統的な風習として趣きがあるので残って貰いたいのですが・・・