熊本城

昨日のNHKスペシャルは、熊本地震から1年間という事で「熊本城再建 ”サムライの英知”を未来へ」というタイトルでした。
一時期、姉が熊本に住んでいた事があるので、熊本城へは何度かいった事があり、興味深く拝見しました。

それにしても、改めて見ると、熊本城の被害は広範囲に渡っていて、かなりひどいですね。
地震当時の報道の映像では、石垣の一部が残って建物を支えているもの等、特に目立つものに限られていて、全体の状況を映しだしたものはありませんでした。
今回は、ドローンで広範囲に撮影していたので、被害の全体像が良く分かりました。

番組の内容は、被害を免れた石垣は主に加藤清正の時代に築かれた物で、明治以降に築かれた物の多くが崩れたそうです。
ちなみに、明治以降に築いたのは、熊本鎮台の兵士達だったとか・・・
そういえば、熊本城は、西南戦争の戦闘の舞台となったし・・・本丸や天守閣は、戦闘直前に謎の出火で消失してしまったのですね。

今回、築城当時の、石垣秘伝の書という書物が見つかり、そこに書かれていたのは、現代の数学でも導き出すのが難しい数式・・・これに基づいて築かれたのが武者返しと呼ばれる石垣のカーブです。
従来は、戦闘のために編み出されたと考えられてきたカーブは、実は地震対策として編み出されたようで・・・慶長伏見大地震で倒壊した、豊臣秀吉伏見城を目の当たりにした加藤清正が、石工たちと試行錯誤して編み出したものだそうです。
なお、崩れた明治以降の石垣は直線的に築かれていたそうです。

しかし、度重なる余震により、武者返しの石垣も膨らみが出てきているとか・・・
この点についても、古文書を調べたところ・・・加藤清正亡き後、城を引き継いだ細川忠利も、石垣の膨らみに気づき、大きな石を楔上に使う補修を行っていたそうです。

文化遺産を守るのには、先人たちの英知を受け継ぎつつも最新の技術を駆使して城を守る、という取り組みが大事なのですね。

この点について、国宝なので、崩れた石垣の石を一つずつ番号を付けて、元の通り組みなおすという話ですが・・・そこまでオリジナルに拘らなくても、もっと強度を上げるのであれば、細川忠利のようにもっと大きな石を使って組みなおすといったような取り組みも良いのではないか?と思いました。

そういえば、先日、熊本地震によって、木造住宅が倒壊した地域が一部に集中したのは、地盤によって、木造住宅に影響を与える短い周期の揺れを増幅するから、という調査結果が発表されました。
なんでも、弱い粘土質の地盤が10m位の深さだと、揺れを増幅するらしいです。
それよりも浅かったり、深かったりすれば、木造住宅は倒壊しなかったとか・・・

熊本城でも、長塀など倒壊した木造建造物もあったようだし・・・石垣が崩れやすい揺れの周期を増幅する地盤というのもあると思われます。
このような最新の調査成果も、熊本城の再建に反映すれば良いのでは?と思うのですが・・・既に、地盤調査などに取り組んでいるのでしょうか?ちょっと気になります。