相対的貧困

先日、母が脳梗塞で救急搬送された時に、ふと思ったのが、新しいパジャマを着せていて良かったという事です。
命にかかわる事態なのに、そんな事を考えていたなんて、我ながら呆れてしまいます。

実は、母のパジャマは1年ぐらい前に買ったものばかり・・・認知症のため、すぐに汚してしまうので、ボロでも良いかな?なんて思っていたのですが・・・新年を迎えるにあたって、流石に可哀そうに思って、新しいものを買ったのです。
だから、古いもの着ていなくて、病院でみすぼらしい事にならなくて、良かったと思ったのです。

ふりかえって、自分のことを考えると、いつもボロいパジャマを着ています。
歳も歳だし、いつ具合が悪くなって入院なんて事になってもおかしくないので、自分も新しいパジャマを買った方が良いかなと、思い直しています。

パジャマに限らず、着るものに無頓着な方で・・・ギターなんかにはお金をかけるのに、洋服にはほとんどお金をかけません。
もちろん、若いころは、女の子の気をひくためにオシャレな恰好をしたりしていたのですが・・・歳をとってから、気に掛けなくなりました。
むしろ、着慣れた物の方が良い、という感じで、コート等は10年以上も前の物もあります。
腕時計なんかも、太陽光発電(電池交換が面倒)、電波時計(時刻合わせが面倒)、チタン製(軽くて疲れない)という基準が揃っただけの安物をしています。

そういった意味では、他人と比べて、良いものを着たいという気持ちが乏しいみたいです。
というか、服に限らず、他人と比べる事自体が、あまり無いかもしれません。
どちらかというと、自分が良いと思った物にはお金をかけるし、どうでもいい物には、お金をかけないタイプですね。

そういえば、最近話題の相対的貧困について、先日読んだ話を思い出しました。
今より高くなっても、周囲より安い給料の世界より、今より安くなっても、周囲より高い給料が貰える世界の方を、人は望むものだそうです。
つまり、周りの人と比べて、初めて、自分の幸せを感じるとか・・・だから、絶対的貧困でなくても、人は不幸せになってしまうそうです。

私の場合、周囲よりも安くても、別に不幸せだとは思わないし、それなりに幸せに感じるような気がします。
しかし、冒頭に書いたように、お金が無いわけではないのに、極端にみすぼらしいのも良くないですね。