不寛容社会

昨日のNHKスペシャルは「私たちのこれから #不寛容社会」というもので、「”炎上”相次ぐニッポンいま何が起きている?」という副題がついていました。
ネットを利用する者として、興味深く拝見しました。

熊本地震の後に「悲惨なのはお前だけではない」とか「熊本が大変な時に不謹慎だと思わないんですか?!」といったような、いわゆる「不謹慎狩り」が行われました。
ネットでの表立った炎上は、5年前に比べて10倍になっているという事で、批判をおそれたり 配慮をしたり 社会全体が委縮してしまう空気が広がっているそうです。

もっとも、番組で一部の人から発言があったように、このような不寛容さは、何も最近の事ではないような気もします。
例えば、戦前は、非国民なんて言われた事がありました。
ネットの匿名性がそれを冗長しているだけであって、日本人の性質が変わったとは言えない気がします。

番組を視ていて気になったのは「王様は裸だといえる社会は大事」とか、「ネットには司会が居ない」とか、書き込みをしている人の意識が「自分の良心を汚したくない」というもの・・・
どうも、番組では「意見」と「非難」を混同しているような感じがしました。

意見は、自分が必ず正しいという立場ではなく、こういう考えもあるという表明なのですが・・・非難は、自分が絶対に正しいという立場で、相手の誤りを指摘しているところが異なっています。

で、個人の意見を述べるのはよい事だと思っているのですが・・・意味も無く相手を非難するのは良くない事だと思っています。

非難をする人って、なんで自分は正しいって自信を持っているのか?不思議に思います。
私なんて、自分は大した人間では無いって思っているので、断定するように書けなくて・・・「・・・と、思います」というような表現になってしまいます。

そういえば、中国の一人っ子政策で、子供は小皇帝と言われるように甘やかされて育てられた結果、中国のネットも炎上するようになったようなので・・・日本でも非難する人って、甘やかされて育った人なのでしょうか?

ふと思い出したのが、和歌山毒カレー事件の被告の家が、散々にいたずら書きされた上に、放火された事・・・
確か、未だに冤罪の可能性があると言われている事件なので・・・犯罪者かどうか決めて刑罰を加えるのは、専門家の仕事であって、何の権限も無い人間が天に変わって罰を与えるなんていう事はできないはずなのに・・・放火した人は、どうして、自分は正しくて罰を与える権利があるなんて、思ったのでしょうか?

ちなみに、和歌山毒カレー事件は、1998年の事なので・・・今ほどネット社会になる以前の出来事です。
昔から、このようなタイプの人はいるみたいなので・・・番組では、スマホツイッターの普及なんかよりも、このような人の心理について、分析して欲しかったですね。