幸せになるには

昨日、夕飯を食べながら見ていた林修先生の番組で、ちょっと納得がいかない内容がありました。
ぼーっと、見ていたので、一部記憶が曖昧なのですが・・・幸せになるには、自分の好きな道では無くて、自分の能力を活かせる道につけば良いと話していました。

調べてみたら、「グサッとアカデミア~中山&林先生の女性に刺さる幸せ講義~」という番組で、『~林修VSゴミ屋敷美女&東大なのに負け組美女~』というタイトルでした。

なんでも、情報処理能力が高ければ、東大に入るのは難しくないが・・・実は、東大に入学したあとの方が格差が大きいという話でした。
東大生のピラミッドの頂点に立つのは、勉強なんかしないでも入学できてしまうだけの能力がある人、そして、地方で神童と言われていたのに入学してみたら上には上が居ると悟った人、ピラミッドの底辺に居るのが、一生懸命勉強して、ギリギリの成績で入学して、それだけで満足する人、だそうです。

勉強なんかしなくても入学できてしまう人は、どんな職業でも成功するが、ギリギリで入学した人は、自分の能力を理解できていないので誤った道を選んで、負け組になってしまうそうです。
そこで、やりたくてできる、やりたくないけどできる、やりたいけどできない、やりたくなくてできない、というマトリックスを描いて、自分の能力を理解できない人は、やりたいけどできないを選んでしまいがちなので・・・やりたくないけどできるを選ぶべば、世間からの評価も得られて、幸せになれるというものでした。
だから、東大生ならば、情報処理能力を活かせる職業につくべきだそうです。

林修先生って、知識が豊富だし面白いので、好きな人物なのですが・・・どうも、私とは価値観が違うようです。
もっとも、価値観というのはその人が生きてきて培ったものだから、良いとか悪いとかは言えないのですけど・・・どうも、バブル世代で、大きな借金を抱えたこともあるというのが、そのような価値観になった要因のような気がします。

そもそも、勝ち組とか負け組なんていうのは世間の客観的な評価であるのに対して、幸せっていうのは、個人の主観で、一緒にはできないと思うのです。
私なんて、人生は勝ち負けではないって、思っているので・・・貧乏でも幸せなんていうのは、有りだと思うのですが・・・世間の評価と価値観が同じ人にとっては、勝ち組でなければ幸せになれないと、考えてしまうのでしょう。

私は、世間の評価と価値観が一緒ではありませんので・・・世間の人が良いというものでも、どうでも良かったり、反対に、世間の人がどうでも良いと思うような事でも、私にとっては凄く良いと思う事があります。
もちろん、多くの人が良いというものには、それなりの理由があるという事は、判っているのですが・・・

例えば、ゴッホなんて、生前はほとんど絵が売れず、弟の援助を受けていて、世間的にも評価をされませんでした。
たぶん、林修先生の価値観によれば、負け組になるでしょう。
でも、自分の好きな絵を好きなように描いていたのです。
もし、世間の人が喜ぶような絵を描いて、大きな収入を得ていたら、幸せだったのでしょうか?
そして、今のような評価を得ることはできたのでしょうか?

大きな功績を遺した人の多くに共通するのは、失敗しても諦めずにチャレンジし続ける、ということです。

一生懸命勉強して東大に入った人は幸せだったと思うし、その努力は良い経験になっているはずです。
その経験は、将来、逆境にたったとき、努力しないで入学できた人よりも、役に立つのではないでしょうか?

だから、東大を卒業して、売れないお笑い芸人をやるなんていうのも、本人が良ければいいと思っています。