人生の終い方

昨日は、一昨日に放映されたNHKスペシャルの「そしてテレビは”戦争”を煽った ~ロシアVSウクライナ 2年の記録~」について、書きました。
テレビが世論を変え、世論がテレビを変えるという状況のなか、見る側も報道を鵜呑みにしない態度が重要なように感じました。

同じ、NHKスペシャルでも、昨日放映されたのは「人生の終い方」というものでした。
体力の限界を理由に笑点の司会を引退した桂歌丸師匠を進行役に、ラジオ番組「ラジオ深夜便」に投稿された内容を元に構成されたものでした。

漫画家の水木しげる、60歳の癌患者、精神障害のある娘を残すことに悩む母、元裁判官、35歳の父親、そして圓楽師匠・・・人それぞれの人生の終い方がありました。

でも、人生の終わりを考えて、残された者に何かを残そうとできる人は幸せなのかもしれません。
それこそ、ウクライナ東部の紛争のように・・・ふいに人生を断ち切られる人達も多いのです。

私の父親は、私が高校3年の時に亡くなりました。
当時の事は今でもはっきり覚えています。
物理の実験が終わって、自分のクラスへ戻ってきた時、教室の前に他のクラスの担任がいて「○○君って、どの子?」って訊くのです。
「○○は、私です」と答えると、「お父さんが倒れられた」と伝えられたのです。
病院に駆け付けたたところ、未だ息はあったのですが・・・結局、意識が戻ることなく旅立ちました。
まぁ、死に目に会えただけでも良かったのかもしれませんけど、何も言い残すことはありませんでした。

後になって、父の同僚に状況を聞いたところ・・・職場で椅子に座ろうとしたところ、椅子のキャスターが後ろに滑って、尻餅をついて、そのまま意識がなくなったのです。
余談ですが・・・今では、労災に認定されると思いますが・・・当時は、先に脳溢血を起こしたので、ちゃんと椅子に座れなかった可能性もある、と言われて、結局、労災認定はされませんでした。

母と姉は遺体と一緒に車で家に帰る事にしたのですが・・・自転車通学だった私は、一旦学校に戻ってから、家に帰ることにしました。
そして、学校から自転車で帰る途中のことです。
急に空が真っ暗になって、雨が降ってきてびしょ濡れになったのです・・・まるで、父の無念の涙のように感じたのを覚えています。
もし言い残すことができたのなら、父は、一体、何を言いたかったのでしょうか?・・・ちょっぴり、気になります。

さて、現在の私には、家族と言えば、認知症の母だけ・・・誰かに、何かを残す事も無いし・・・言い残すほど、立派な人生を送ってきたわけでもありません。
人生の終い方といっても、ピンピンコロリで、あまり周囲に迷惑をかけなければ良いかな?と思うぐらいです。
そういう意味では、父の亡くなり方は理想的にも思えるのですが・・・