有難うと当たり前

昨日は、キャラメルの需要が減って、サイコロキャラメルが製造中止になるというニュースを聞いて、最近、キャラメルを食べていないという事に気づいた事を書きました。
昔はキャラメルを貰ったら嬉しかったのに、いつのまにか豊かな生活に慣れてしまったようで、有難味を忘れてしまったようです。

そういえば、「有難う」という言葉は仏教用語だそうで・・・お釈迦さまが弟子に語った例え話が由来だそうです。
なんでも、人間として生まれるのは・・・大海の底から、盲目の亀が浮き上がったら、流木の穴に頭が入ったのと同じぐらい、有りえない(有難い)事だから、感謝しなければいけない、という事だとか。

そういえば、昨日のニュースで、NASAケプラー望遠鏡で太陽系外を調査したところ、新たに1984個の惑星を発見して、そのうちの9個は、生命が存在できる環境だった、というのがありました。
お釈迦さまの言う通り、人間のような知的生物が生まれる確率って、かなり低いみたいなので・・・人間として生まれた事には感謝しなければいけませんね。

よく言われる事ですが、「有難う」の反対語は「当たり前」になります。
豊かな生活の有難味を忘れて、いつしか当たり前になっていたように・・・・人間として生まれたのが当たり前になっていて、有意義に生きていない自分に気づきました。
意外と、当たり前だと思っていた事が有難うだったりします。

認知症の母は、着替え等を手伝ったりしたときに、よく「有難う」と言ってくれます。
おそらく、迷惑をかけているという意識があるのかもしれません。
そんな時、声には出しませんけど、心の中で「息子なんだから、手伝って当たり前だろ」と思っています。

日本人は、困っている人を助けてあげる、って言われますが・・・それが当たり前の社会になって欲しいし・・・もちろん、助けてもらった人は「有難う」って感謝する気持ちを忘れずにいてもらいたいですね。