結構、知らない事も多くて、興味深く拝見しました。
以前も書きましたが、どちらかというとライバルの最澄の方が好きです。
でも、偉大な僧であることは確かですね。
もともと、空海が開く前からそんな感じだったような気がします。
それから、燈籠堂の地下では、確かになにかいるよな気配を感じたのですが・・・
もっとも、池上本門寺では辺りに人気がなかったので、そんな感じがしたのかもしれません。
司馬遼太郎の作品の中では、フィクション性が少なく、研究書的なニュアンスがあるので、好きな作品です。
30代の頃は、司馬遼太郎の歴史物は凄く好きだったのですが・・・
年をとると、フィクション性が気になって、その後は他の作家のノンフィクションとか自伝なんかの書籍に興味が移ってしまいました。
やはり、歴史的事実を題材にしていても、小説は現実とは違うという事に気付いたのです。
だから、「空海の風景」のフィクション性が少なくて、研究書的なニュアンスがあるところは、小説としての出来は別にして、とても良いと思っています。
だから、フィクションで変な魅力を付け加えなくても良かったのかもしれません。