空海の風景

先ほどまで、テレビで空海高野山の番組をやっていました。
結構、知らない事も多くて、興味深く拝見しました。

以前も書きましたが、どちらかというとライバルの最澄の方が好きです。
空海は、才気があふれていて、そのせいか自己アピールが強い感じがして、最澄の方が謙虚な感じがします。
でも、偉大な僧であることは確かですね。

あと、高野山、特に奥の院の辺はとても神聖な感じがするところですが・・・
もともと、空海が開く前からそんな感じだったような気がします。
だから、空海高野山を選んだのだと思うのですが、かえって仏教関係の特色が強くなりすぎて、元々あった神聖な感じが薄れてしまったような感じも、ちょっとします。

それから、燈籠堂の地下では、確かになにかいるよな気配を感じたのですが・・・
池上本門寺日蓮のお墓の方が、なにかいるような気配を強く感じた気がします。
もっとも、池上本門寺では辺りに人気がなかったので、そんな感じがしたのかもしれません。

空海というと、司馬遼太郎の「空海の風景」という作品を思い浮かべます。
司馬遼太郎の作品の中では、フィクション性が少なく、研究書的なニュアンスがあるので、好きな作品です。

30代の頃は、司馬遼太郎の歴史物は凄く好きだったのですが・・・
年をとると、フィクション性が気になって、その後は他の作家のノンフィクションとか自伝なんかの書籍に興味が移ってしまいました。
やはり、歴史的事実を題材にしていても、小説は現実とは違うという事に気付いたのです。
だから、「空海の風景」のフィクション性が少なくて、研究書的なニュアンスがあるところは、小説としての出来は別にして、とても良いと思っています。

で、司馬遼太郎が何故空海を題材に取り上げたのかと考えると、色々と理由があると思いますが、やはり小説の主人公として見れば、他の高僧よりも人間的魅力が豊富だったからのような気がします。
だから、フィクションで変な魅力を付け加えなくても良かったのかもしれません。

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高野山で購入した 弘法大師御影

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空海の風景 上」 司馬遼太郎著 中公文庫

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空海の風景 下」 司馬遼太郎著 中公文庫