マクナマラ回顧録

昨日は、ケネディ大統領について書きました。
ケネディ大統領とその後を引き継いだジョンソン大統領のもとで国防長官を務めたのが、ロバート・S・マクナマラです。

彼の書いた「マクナマラ回顧録」は、30年近く経ってからベトナム戦争が誤りだったと認めたことで、話題となりました。
言い訳だとか、反省が足りない等の意見もありますが、自伝などの中では好きな作品です。

そもそも、自伝なんていうものは多かれ少なかれ、言い訳じみたところがあるものです。
自伝の中には、日記とかの記録を元に少しコメントを追加したような物もあるのですが・・・
当時の事を筋道立てて書いているのは、やはりつらい思い出を何度も自問していたからだと思います。
多くの自伝が成功物語なのに対して、これは失敗の物語であり、優秀な人間がやる事なす事上手く行かない状況が書かれているのが、とても興味深い本です。

マクナマラハーバード大ビジネススクールで教えているときに真珠湾攻撃が起き陸軍統計管理局へ入ります。
終戦後、フォード自動車の社長ヘンリー・フォード2世から招かれ、会社の経営を立て直します。
そして、その功績を認められ、ヘンリー・フォードフォード2世から社長の座を譲られます。
しかし、社長就任から7週間後に、次期大統領が決まったケネディから国防長官としての入閣を要請されます。
これは、ケネディ政権には、新機軸のアイデアを持った実業家が必要だと考えられたからです。
アイゼンハワー大統領は連合軍最高司令官だったこともあり、それまでの国防省は軍部の影響が強かったのですが・・・
国防長官になったマクナマラは、国防省改革に取り組んで文官統制を進め、無駄な国防費の削減に取り組みました。
しかし、ベトナム戦争の泥沼化により増強を進めたため、結局、国防費は増大しました。

マクナマラベトナムへの介入を進めたため、ベトナム戦争は別名マクナマラの戦争と言われるようになります。
回顧録では、ベトナム現地からの報告が正確でなく、都合の悪い事は隠して、楽観的に水増しされていた事によって判断を誤った事が述べられていますが・・・
そもそも、マクナマラが軍事の専門家でなかったので、詳しい状況が判らなかったためだと思います。
また、回顧録には書かれていませんけど、軍部の中には、マクナマラの行った国防省の改革を良く思っていなく、協力的でない人も多かったのではないかと推測できます。

キューバ危機の時にケネディは「八月の砲声」という第一次世界大戦描いた本を参考にしていますが、そこには決定済みの計画を覆すことが困難なことが書かれています。
それは、計画を覆すのには、それなりの理由が必要であり、覆した人が全責任を負わなければならないからだと思います。。
おそらくケネディマクナマラも、アイゼンハワーからベトナム問題を引き継いだ時に、状況を把握できてなかったため覆すだけの根拠もないので、そのまま推し進めたのでしょう。

結局、マクナマラは、ベトナム戦争が拡大した後、状況が判明してくるにつれて勝利に懐疑的になり、介入の縮小を望みましたが、ジョンソン大統領に拒否されて国防長官を辞任します。