父の記憶

今日は春分の日で祝日ですが、お彼岸の中日でもあります。

もっとも、私たちが普段使っているお彼岸とは、彼岸会(ひがんえ)法要のことです。
そもそも彼岸とは、煩悩に振り回されている境地(此岸)に対して、悟りを開いて達する迷いのない境地のことを言います。
日本以外では、悟りを開くと仏になるのですが、日本の仏教では死んだら誰でも仏になるので、祖先を供養する行事を彼岸会として行うようになったそうです。

そんなわけで、父の墓参りへ行ってきました。

父は本が好きで、図書館に勤めていて、最終的には副館長でした。
父の話では、図書館の職員がなれる一番偉い職級が副館長だそうで、館長は区役所から任命された人が勤めるということでした。
ちなみに、昔は母も同じ図書館に勤めていたそうで、姉が生まれたときに辞めたそうです。

子供の頃、家へ遊びに来た友達が、いくつも並んだ父の本棚を見て「図書館みたいだ」と驚いていたことを覚えています。
だから、私が読書好きなのも父の影響だと思います。

そういえば、アーティストなど想像力を使う人は老けないと、先日書きましたが・・・
父も見た目が若かったので、仕事から帰って来た父を見た友達が「お兄さんが、帰ってきたよ」と勘違いをしたこともありました。
副館長という職業柄、図書館の蔵書については一番詳しく、作家の資料集めの手伝いなどしていたそうなので、ある意味アーティスト的な部分もあったのかもしれません。

一方、図書館は月曜が休日なので、学校へ行っている私たちと、ほとんど休みが合いませんでした。
そんなわけで、家族旅行は2回しか行ったことがありません。
それには他にも理由があります、私が小学校低学年のときは、父は結核になり入院していました。
そして、私が小学校6年生のときに脳溢血で倒れました。
幸い、一命をとりとめましたが、また暫く入院生活とリハビリ生活をおくったのです。
結局、私が高校3年生のときに、脳溢血が再発して、帰らない人となってしまったのです。
母によれば、織田信長の「人生50年・・・」というのを真似していたそうですが、逝った時は51歳でした。

そういえば、父の通夜のとき、父の部下だった人が突然大声で泣き出してびっくりしたことを覚えています。
まさに、男泣きといった感じで、いつまでも泣いていました。
残念ながら、今の私が死んだとしても、そんな風に泣いてくれる人はいません。