なんとかなる?

<昨日のつづきです>

高校と違って、専門学校の生徒は、色々な人がいました。
同じように受験に失敗した人、会社を辞めた人、大学に行けるだけ成績の良くない人・・・
専門学校で仲の良かった友達で、いつも頑張って勉強している奴がいました。
頭が悪いので(知能指数が70いくつかと言っていました)、勉強しなければ授業についていけないと言っていました。
でも、普通に話していると、とても良い奴で、あまり頭が悪いなんて思えなかったです。
そのとき、人の価値は、知能指数なんかじゃないと実感しました。

通ってみて判ったのですが、専門学校の就職先には有名な企業名がありましたが、実際は成績優秀な人間で、それも修理工なんかだったのです。
実際は、電機屋の販売員に就職することが多いようでした。
高校の頃は、できれば開発系の仕事をやりたいなんて思っていたので、その現実にショックを受けました。
専門学校の食堂で、仲間と就職について話していたとき、沖縄から来ている奴が、コネである有名なところへ入れるかもしれないと言ってました。
あんなところに就職出来たら良いよなぁ・・・と、みんな羨ましがっていたのを覚えています。

その頃は、いつも通学する電車の窓ガラスに映る自分の顔を見ながら、このままじゃ駄目だと思っていました。

そして、また母に無理を言って、翌年、私立大学の理工学部の二部(夜間部)へ入学しました。
夜間部も色々な人がいました。
一部(昼間部)に合格しなかった人、お金が無くアルバイトして勉強している人、就職しているのに大卒資格をとりたい人・・・
私は、昼は専門学校、夜は大学へ通い、専門学校は無事に卒業することができました。
夜大学に行っているとは言っていなかったので、専門学校の先生は心配して、卒業後も就職はどうしたと電話してきたりしました。本当にありがたいです。

そして、大学の一部(昼間部)への転部試験を受けて、なんとか合格しました。
昼間働いて、夜は学校に行けば、母に迷惑をかけなかったのに・・と今では思います。
でも、母は、合格した事を凄く喜んでくれました。

昼間部は、高校の頃と同じように、普通の学生が多かったです。
特に、付属高校から来た人は、お坊ちゃんという感じでした。
授業は、さすがに夜間部よりも面白かったです。
なによりも、自由に勉強ができることが新鮮でした。
専門学校は時間割が決まっていたし、夜間部は単位制でしたが、選択できる教科があまりありませんでした。
昼間部は、好きな教科をいろいろ選べたし、余裕があったので、履修していなくても面白い授業に出たり、履修していてもつまらない授業には出ませんでした。
そういえば、教室の後ろの扉はいつも開いていて、授業中でも人が出入りしていました。
私も、気が乗らないときは、抜け出して図書館へ行ったり、友達と喫茶店へ行ったりしていました。
この自由な雰囲気は、古くからある大学だったからなのかもしれません。
歴史のない大学へ行った高校の友達は、授業では出席をみっちり取られて、抜け出すのは難しいと言っていました。

そんなで、心を入れ替えて一生懸命勉強したというわけでもありませんでしたが、夜間部から転部したわりにそこそこの成績で卒業する事ができました。
教授から大学院を薦められましたが、さすがに家の事情を考えると就職を選びました。
(教授は、それなら研究助手にならないか?とも言ってくれましたが・・・助手の期間は8年と言われて断りました)
そして、なんとか有名なところへ就職する事もできました。
そう専門学校で沖縄出身の奴が話していたところです。
(その後、希望だった開発系の仕事もさせてもらいました)
こんな風に、なんとかなってしまったので、考えが甘い性格は変わりませんでした。

今考えると、本人としては、まわり道しましたが、色々経験できて良かったです。
でも、母には本当に迷惑をかけたと思っています。
2年も余計に時間を使って、お金も余計にかかったし、なにより色々心配をさせてしまいました。

現在、母は認知症(要介護4)ですが、せめてもの罪滅ぼしと思って介護しています。
実際は、ぶつぶつと不平を言いながらなんですけど・・・
私の考えが甘いのは相変わらずで、良く言えば楽天的なのですが、母の介護もこのままなんとかなるだろうと考えています。