遺跡発掘

台風13号は日本列島をかすめて行ったようで、今朝の東京は、予想したほど影響がありませんでした。
逆に、昨日の朝が予想外に雨風が酷かったため、かなり濡れたせいか・・・それとも気温差も激しいためか・・・今日になったら、ちょっと風邪気味になってしまいました。

昨日は、戦争遺跡がマスコット・キャラクターを使うなど、悲惨さを薄めて観光地化している事について書きました。
地方自治体にとって、戦争遺跡を保存するには、かなりのお金がかっかるため、やむを得ないようです。
やはり、国が文化財指定をするとか補助を出すべきだと思うのですが・・・憲法改正を目指す政府にとっては、戦争の悲惨さを国民に広めたくないのでしょうか?

ところで、調べて見たら、戦争遺跡ではない普通の遺跡も、保存するのが大変なようです。
当然ながら、戦前は、軍事が優先だったので、軍の施設や一般の防空壕なんかによって、遺跡が崩されてしまった…なんてことが、多かったそうです。
戦争遺跡によって、普通の遺跡が崩されたなんていうのも皮肉ですね。

そういえば、日本の近代考古学は、明治維新後、モースによる大森貝塚の発掘が始まりと言われていますが・・・モースは、汽車の車窓から貝塚を見つけたと言われています。
つまり、鉄道は貝塚なんて事を意識せずに、運よく側に建設されたのです・・・だから、明治維新後に、文明開化で沢山の鉄道や建物等が建てられたときも、当時の人には遺跡なんて概念は無かったので、崩された物も多いのではないでしょうか?

そして、三島由紀夫の小説で有名な、昭和25年の放火による法隆寺金堂消失がきっかけで文化財保護法が出来て・・・これにより、工事などで、遺跡が見つかった時は調査しなければいけなくなったのですが・・・それ以前に見つかっていた遺跡で、個人所有地にあったものは、自由に売買できたとか・・・そのため、古墳を売って宅地にしてしまうなんてこともあったそうです。

さらに、高度成長期には、ニュータウン開発などで遺跡が見つかっても、とりあえず調査して、建設がすすめられたりしたようです。

ちなみに、私は学生の頃、宅地造成地で遺跡発掘のアルバイトをした経験がありますが・・・あらかじめ、今週はどこを掘るかというノルマが決まっていたので・・・学生たちは、土器とか割っても、どんどん掘り進めていました。
そういえば、週に1~2回、都の職員がやってきて・・・ぼこぼこに掘った辺りを平らに均せというので、そうすると円形に土の色が変わっていて・・・住居跡だと判って驚いた記憶があります。

現在、そこは住宅地となっています・・・当時の、遺跡に対する扱いは、そんな感じでしたね。
東京オリンピックに向けて建設ラッシュだと言われていますが・・・現在は、どうなのでしょうか?

今になって思うと、遺跡とか、過去の文化を大切にしない社会の未来は明るくない気がします。