相対的貧困と絶対的貧困

昨日は、子供の相対性貧困について書きました。
確かに人並の生活が出来ないというのは辛いと思いますが・・・私が育った頃は、貧しいのが普通だったので、そんなに深刻に思えないという感じもあります。

用具が買えないから部活が出来ない、旅行に行けない、塾に行けない、大学に行けないと言いますが・・・昔は、そんな事が普通だったような気がします。
どうも、景気が良かった頃の生活水準が、標準的な人並の生活になってしまったので・・・景気が悪くなったのなら、その分、人並の生活というレベルを下げるべきだと思います。

例えば、現在、子供の相対的貧困率が増えて16.3%になったといいますが・・・一部の金持ちに富が集中し・・・相対的貧困率が50%を超えたら、貧困家庭のレベルが標準になってしまうのではないでしょうか?

日本では、地域によって、相対性貧困率に差があるそうですが・・・周囲に貧しい人が多い地域だったら、むしろ子供たちは幸せなのか?なんて思ってしまいます。

ところで、世界的な視野でみれば、小学生ぐらいの子が学校にも行けず働かなければならないような、絶対的貧困の地域がいくつもあります。
こんな地域の子の目には、日本の相対的貧困の子って、どんな風に見えるのでしょうか?

ちなみに、私は、いくつかのNGOのサポーターとなっていて、僅かですが、こんな子供たちの支援をしています。
確かに、日本の相対的貧困の子供にも同情しますが・・・やはり、支援するのなら、他の国でも絶対的貧困の子供だと思うのです。
相対的貧困の子供を無くす事が、将来の日本のためになるという考えもあると思うのですが・・・他国の絶対的貧困の子供を無くす事は、人類の未来のためになると考えています。

人それぞれの考え方があると思いますが・・・なんとなく、日本の将来のためなんていうと、トランプ大統領アメリカ・ファーストと似たような感じがしてしまうのです。