和綿

昨日のNHKブラタモリは倉敷が舞台で・・・「なぜ美しい街並みが倉敷に」というサブタイトルがついていました。
なんでも、倉敷は、江戸時代は天領で水運に恵まれていたので、商業が発達して豪商が多く集まっていたそうです。

倉敷へは、高校の修学旅行で行っただけで、それっきり・・・また、行ってみたいと思いました。
ちなみに、修学旅行の時は、大原美術館で騒いで、職員に怒られた記憶があります。

番組によると、倉敷は埋め立て地だったため、土中の塩分濃度が高かったので、米作には向かないために、綿花の栽培が盛んだったそうです。
そして、明治維新後・・・大原一族により倉敷紡績クラボウ)が創業され・・・綿製品は日本の主力輸出品となったため、倉敷は栄えたとか・・・

気になったのは、その説明の時に、タモリさんに渡された綿花で・・・綿が上に付いていたのです。

昔、エコロジーのイベントで、和綿の復活に取り組んでいるNGOの人に、種を貰った事があります。
庭に蒔いておいたら、2~3年は綿がなった記憶があります。

和綿とは、江戸時代から昭和初期まで日本で盛んに栽培されていた綿で・・・繊維が太くて短く、間に空気が溜まりやすいため布団などに向いていました。
しかし、繊維が長く糸が沢山とれるエジプト綿などに押され・・・日本の綿産業は衰退し、和綿は栽培されなくなってしまったそうです。

さらに、和綿の特徴としては、雨の多い日本の気候に適して、綿が下を向いて付く事があります。
つまり、番組でタモリさんに渡された綿花は、倉敷を栄えさえた和綿ではなく、日本の綿産業を衰退させたエジプト綿だったような気が・・・ちょっと皮肉な感じがしますね。