御柱について考えた事

昨日のNHKスペシャルは「古代史ミステリー ”御柱” ~最後の”縄文王国”の謎~」というタイトルでした。
なんでも、木落しで有名な諏訪地方の奇祭の御柱祭は、縄文時代の信仰を受け継いでいるようです。

昔、諏訪大社の4つの社(上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮)を巡った事があります。
そういえば、若いころ、日帰りスキーで「ブランシュたかやま」というスキー場によく行っていたのですが・・・帰りに和田トンネルを抜けて下諏訪の公衆温泉に寄るのつねでした。
ちなみに、スキー場から公衆温泉までのルートの途中には、木落しが行われる坂がありました。
その公衆温泉が、下社秋宮のすぐそばだったので、いつもお参りしていたため、御柱はよく目にしていました。

そのときは、あの木落しの御柱か・・・なんて、思っていただけで、まさか縄文文化と関係があるなんて、思っていなかったです。
アニミズムを信じる私としては、自然に神が宿るという縄文文化の特徴は理解していたので・・・御柱の様に、樹齢の大きい巨木を信仰するというのは、言われてみれば納得でした。

そういえば、美ヶ原とかを旅したときに、縄文時代の黒曜石の産地だったという話も聞いたことがありました。
番組によれば、諏訪地方には縄文遺跡が900か所もあるそうで・・・縄文文化の中心地のひとつだった事が判ります。
そういう観点を持って、もう一度、諏訪地方を旅してみたいなぁあ・・・なんて、思いました。

番組を視ていて、ふと思ったのが、青森の三内丸山遺跡の6つの柱の跡・・・いまでは、物見台のような感じで再現されていますが・・・上部にどんな構造物があったのか、はっきりしていないそうで・・・ひょっとしたら、あれも御柱だったのではないか?と疑ってしまいました。

さらに、古代の出雲大社は、今の物より遥かに高い構造物だった事が判っていますが・・・あれも、始めは御柱を建てていたのが、やがて上に社を乗せるようになっていったのではないか?なんて想像してしまいました。

その出雲出身で大国主命の子供の建御名方命タケミナカタ)が諏訪に来て、農耕文化(弥生文化)を伝えたので、諏訪大社の神となったとき、狩猟採取文化(縄文文化)の漏矢神(モレヤ)を家来にしたと考えると、面白いですね。